イノベーションを促進するマインドフルネス                竹腰重徳

  イノベーションとは、一般にいわれているように、技術革新だけではありません。新しい顧客価値を生み出すための革新の事業活動のことです。その中には、製品・サービスの開発、新たな生産方式や販売方法の導入、新市場の開拓、組織の改革も含まれます。イノベーションの結果もたらされるものは、顧客にとってより良い製品・サービス、より多くの便利さ、より大きな欲求の満足です。顧客が潜在的に求めている将来に広がる製品・サービスを革新的な方法の組み合わせで提供することです。つまり製品・サービスの高付加価値にこだわるのでなく、むしろ新しい視点からとらえた製品・サービスの使い方や提供方法などを組み合わせて新しい欲求を高めることを重視します。顧客に新しい価値を気付かせ、市場や社会に大きな変化をもたらします。たとえば、アップルのiPhone、アマゾンのオンラインショッピングは、私たちの日常の生活やビジネスの方法を大幅に変えてしまいました。

 イノベーションは、今までにないやり方で現状を変化させて新しい顧客価値を創り出しますが、それを阻害する大きな要因の一つに現状維持バイアスがあります。現状維持バイアスとは、変化を避けて、現状を維持しようとする心理作用で、自分の思い込みや周囲の環境などによって無意識のうちに合理的でない判断をしてしまう認知バイアスの一種です。現状維持バイアスは、程度の差こそあれ、誰もが持っている人間に刻み込まれた太古の記憶です。太古の昔、人間が狩りをして生活していた時代、彼らが住んでいる土地を離れて未開の土地に行くことは、大きなリスクを伴いました。そこにはどんな危険が潜んでいるのかわかりません。肉食動物に食べられたり、他の種族に襲われたりして、命を落とすことがあったはずです。つまり彼らにとっては、現状維持は安全、新しいことは危険であったということでした。私たちの先祖は、できるだけ現状維持を望み、変化することを恐れたのです。人間は、何千万年もこのような暮しをしていたので、私たちの遺伝子には、その時の記憶が刻み込まれています。したがって私たちは新しいことにチャレンジしないで、現状を維持することを望んでしまう傾向が強く、イノベーションの芽をつぶしてしまいます。

 現状維持バイアスという心のクセを克服するにはどうすればよいでしょうか。その有力な方法がマインドフルネスの実践です。マインドフルネスとは、今という瞬間に、価値判断を加えることなく、意識的に注意を払うことです。それは、今の瞬間をあるがままに経験し、受け入れることです。私たちがどのようになりたいか、どうあるべきかを考えたり、そうあるべきだと認識したりするのでなく、客観的にあるがままに観察し受け入れ、すべてのものは変化するという気づきを得ます。この実践を通じて、日常の場面で、現状維持バイアスに気づき、変化を恐れず立ち向かうようになり、イノベーションの促進に導きます。

 さらに、イノベーションを創出するためには、ある程度の失敗はつきものです。失敗の経験も糧にしながら、修正や方向転換を積み重ね、ブラッシュアップしていくことが求められます。そのため、失敗を許容できるような風土・開発体制であることも重要で、まずは小さく初めて検証し、改善を繰り返すような進め方が大切になります。失敗を許容できるような風土づくりに役立つのも、マインドフルネスの訓練です。マインドフルネスの訓練では、瞬間瞬間に呼吸や身体の感覚に意識的に注意を向けて観察する訓練になります。途中で思考や音などで意識が逸れたら、それに気づき、再びやさしく呼吸や身体の感覚に注意を向けるようにします。この訓練が失敗に対する寛容性の強化につながります。また、マインドフルネスの訓練は、他者との共感、柔軟な思考、創造性などの向上効果がもたらされ、イノベーションに大変有用な能力をアップしてくれます。グーグル、アップル、アマゾン、マイクロソフトなど多くの革新的企業にマインドフルネス実践が取り入れられています。

参考資料
(1)Matt Tenny、Tim Gard、The mindfulness edge、Willy、2016
(2)ダニエル・カーネマン、ファスト&スロー上下、村井章子訳、早川書房、2020


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