コンパッション                          竹腰重徳

  禅僧であり、医学人類学博士でもあるジョアン・ハリファックスは、「コンパッション(Compassion)」とは、「自分であろうと他者であろうと、その悩みや苦しみを深く理解し、そこから解放されるよう役立とうとする純粋な思いである、また、自分自身や他の人と共にいる力」と説明しています(1)。日本では、コンパッションを「思いやり」や「慈悲」と訳されていますが、必ずしもコンパッションを明確に表していませんので、ここではコンパッションと表記します。私たちは、コンパッションと共感を同じような意味に使うことがありますが、同じではありません。共感は、相手と感情的状況を共有するということで、相手が苦しんでいるときは苦しく、幸せを感じているときは、幸せを感じることができるということです。一方、コンパッションは共感からさらに踏み込みます。つまり相手の苦しみを共感することにより相手の苦しみを感知し、相手を助けたいという強い動機と行動が伴います。

 コンパッションの概念は、仏教がルーツです(2)。仏教では、日常の生活の中であらゆる生命に対する心の在り方として四無量心を実践することが重要であるとされています。四無量心とは、慈悲喜捨という4つの無量心のことで、そのうちの「悲」無量心がコンパッションです。悲無量心は、自己と他者の苦しみを感じ、それを取り除こうとする深い関与と定義されています(ダライ・ラマ)。関与とは、自他の気持ちをありのままに受入れ、優しい気持ちを向け、温かい言葉かけや行動を取ることを意味します。単に悲しみに共感して一緒に泣いてあげるなど感傷的態度をとるのでなく、困っている自分や他者が思っていることや感じていることを良い悪いと判断せずに受入れ、必要に応じて慰めたり、手助けしたりしてあげることが、コンパッションだとしています。四無量心の中で、自分や他者の不幸を幸せなものに置き換えようと願うことが「慈」無量心で、日本語では慈しみや慈愛(Loving-kindness)と呼ばれています。「喜」無量心は他者の幸せや喜びを自分も同じように感じることです。「捨」無量心は偏りのない平静な心であり、差別のない広々とした心で、自分や他者を無条件に受け入れ、誰に対しても落ち着いて優しくあり続けられる心の持ちようとなります。

 仏教では、四無量心の実践訓練としてすべての生き物の幸せを願う慈悲の瞑想(Loving-kindness and Compassion Meditation)が実施されています。慈悲の瞑想では、幸せを願う対象の順番は、最初は自分の幸せを心に念じることから始め、次に家族、友人など親しい人々(生命)、駅員や店員など一般の人々(生命)、苦手な人々(生命)、そして生きとし生けるもの(すべての生命)に、次のような幸せのフレーズを繰り返して心に念じます。「幸せでありますように(慈)、悩み苦しみがなくなりますように(悲)、幸福と幸運が続きますように(喜)、心安らかでありますように(捨)」。慈悲の瞑想は、困難に直面したときの精神的回復力(レジリエンス)が高まる、対人関係が強化される、脳の活性や免疫力が高まるなど、科学的に効果があることが数多く実証されており、医療、学校、スポーツ、ビジネスなどあらゆる分野でマインドフルネスとともに実践されつつあります。

 コンパッションは、他者を気遣い幸福を願う感情であり、誰かのためを思うという性質があります。誰かを思いやるとき私たちは優しさや温かさを経験するため、コンパッションは感情面でポジティブになり他者と接近行動につながります。ポジティブな気分と他者とのつながりに関連する脳領域が活性化され、ポジティブな感情的反応を引き出します。これらは、周りに伝搬します。また、脳の報酬システムに関連し、気分をよくするオキシトシンやドーパミンなどの神経伝達物質の放出にも関連しています。ダライ・ダマ法王は、「幸せになりたかったら、コンパッションを実践することである」と述べています。


参考資料
(1)ジョアン・ファリファックス、コンパッション、マインドフルリーダーシップインスティチュート監訳、英治出版、2020
(2)有光興記、コンパッションとウエルビーイング、Japanese Psychological Review、2021


                       HOMEへ