今ここに生きるためのマインドフルネスと禅語 竹腰重徳
マインドフルネスの普及に最も貢献し、この分野の第一人者のマサチューセッツ大学医学大学院教授のカバットジンは、「マインドフルネスとは、独自の方法で注意を払うことです。意図的に、その瞬間に、判断をせずに。このように注意を払うことにより、今この瞬間に存在する現実に対し、より大きな気づき、明晰さ、受容が育まれます。私たちの人生が、その一瞬、一瞬にのみ展開しているのだという事実に気づくことができます」と述べています(1)。これは、マインドフルネスが、「今ここ」に注意を向けている状態であり、過去の後悔や未来の不安やまわりの人たちからの評価、判断、好き嫌いといった気持ちにとらわれず、自分の「今」の思考や行動を観察し、受け容れている状態です。マインドフルネス瞑想を継続的に実践することにより、今この瞬間に生きることの大切さを実感し、集中力や明晰な思考を持つこと、創造性を育むこと、誰に対しても思いやりの気持ちになることが可能となるのです。 マインドフルネス瞑想は、今この瞬間の現象に常に気づきを向け、その現象をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情に囚われないようになることを目指す心のトレーニングですが、そのルーツは、ヴィパッサナー(VIPASSANÂ)瞑想です。ヴィパッサナー瞑想は、約2500年前、ブッダが開発した宗教性のない誰でも実践できる瞑想法で、人間の苦や悩みからの解放を目指した瞑想法です。初期仏教パーリ語でvi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanâ パッサナーとは「観察する・観る」という意味です。ヴィパッサナー瞑想では、今この瞬間に完全に注意を集中し、自分の内外に起こっていることを五感や心の働きを通してありのままに観察して気づくことで、ありのままの体験を価値判断しないで受け容れるようになります。 日常生活の中で今ここに生きることが実践できるようになるために、それに関連した禅語を学ぶことでも、今ここに注意を向け、状況に気づき、受け入れる能力が強化されます (2)。 「即今、当処、自己(そっこん、とうしょ、じこ)」 過去や未来にとらわれず、今自分が置かれた場所で、自分のできることを全力でやりましょう。「即今」は、今やらずしていつやりますか、「当処」は、ここでやらずしてどこでやりますか、「自己」は、あなたがやらずして誰がやりますか、という意味です。一瞬前の自分は死んでいないし、一瞬後の自分が生きている保証はありません。また今いる場所しかいることはできませんし、自分しか目の前のやるべきことをやることはできません。つまり、私たちの命の真実は「今」にしかないということです。このシンプルな真理を深く理解しましょう。そうすれば、過去を悔やみ、先を憂え、過度に悩んだり、迷ったり、考え込んだりする時間を大きく減らすことができます。今、目の前にやるべきことがある。それに生命のエネルギーを注ぐ。これこそが「生きる」ということなのです。 「莫妄想(まくもうぞう」 過去や未来を思い悩まず、今に集中しましょう。済んでしまったことは忘れましょう。今できることに全力を尽くしましょう。よりよい未来をつくるには今の努力しかありません。 「前後際断(ぜんごさいだん)」 過ぎ去ったことを悔やんでも、将来のことを悩んでも幸せになれません。一瞬一瞬が絶対的な存在であり、「過去-現在-未来」は続いているものでなく、それぞれ独立しています。過去はどうしても変えられず、未来がどうなるか恐れても仕方ありません。とにかく「今」に最善尽くすべきだという考え方です。 「而今(じこん)」 過ぎ去った過去やまだ来ない未来にこだわらず、「今」この瞬間に集中してただ懸命に生きることが大切であるということです。 「不期明日(みょうにちをきせず)」 明日のわが身がどうなるか分りません。ひょっとしたら、命を失うかもしれません。今日やるべきことは今日やってしまいましょう。 「無心(むしん)」 無心とは心に何の思いも持たない状態を意味します。無心の状態では、先入観や判断を避け、物事をそのままの姿で受け容れることができ、より直感的で創造的なアプローチが可能になります。 参考資料 (1)ジョン・カバットジン、マインドフルネスストレス低減法、春木豊訳、北大路書房2017 (2)枡野俊明、リーダーの禅語、三笠書房、2017 |
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